1 00:00:06,068 --> 00:00:07,945 ‎NETFLIX オリジナルシリーズ 2 00:00:48,903 --> 00:00:50,988 ‎1568年 3 00:00:51,072 --> 00:00:56,744 ‎尾張の統治を巡り争った ‎残忍な戦いから‎10‎年が経過 4 00:00:56,827 --> 00:01:01,916 ‎無敵の武将 織田信長は ‎中部地方の広い範囲から 5 00:01:01,999 --> 00:01:04,501 ‎京都までを手中に収めていた 6 00:01:06,670 --> 00:01:09,673 ‎大いなる野心に駆り立てられ 7 00:01:09,757 --> 00:01:13,677 ‎信長は 未だ彼の支配に ‎反発する勢力を一掃 8 00:01:14,220 --> 00:01:16,806 ‎1世紀以上ぶりの天下統一を 9 00:01:16,889 --> 00:01:19,683 ‎自らの手で ‎果たそうとしていた 10 00:01:20,309 --> 00:01:24,563 ‎しかし 信長の残忍な性格が ‎各地で怒りを招き 11 00:01:25,106 --> 00:01:29,110 ‎全国で強敵たちが ‎信長の暗殺を計画していた 12 00:01:31,028 --> 00:01:35,908 1568年 日本 13 00:01:41,372 --> 00:01:44,416 ‎信長は戦いのプロです 14 00:01:47,211 --> 00:01:49,130 しかし京都に来て 15 00:01:49,213 --> 00:01:49,630 政治的な権力を握る 可能性を探り始めます 16 00:01:49,630 --> 00:01:53,634 政治的な権力を握る 可能性を探り始めます ダレン・アッシュモア 山梨学院大学 歴史家 17 00:01:57,513 --> 00:02:01,725 ‎敵対勢力は信長に ‎怒りを募らせていきました 18 00:02:01,809 --> 00:02:02,226 信長が権力の独占を 望むことは明白です 19 00:02:02,226 --> 00:02:06,147 信長が権力の独占を 望むことは明白です スティーブン・ ターンブル 歴史学者 作家 20 00:02:09,941 --> 00:02:14,822 ‎信長による中部地方の支配を ‎敵対勢力は見逃しません 21 00:02:14,905 --> 00:02:15,322 信長を嫌い 彼の 権力の拡大を恐れた― 22 00:02:15,322 --> 00:02:18,200 信長を嫌い 彼の 権力の拡大を恐れた― フィリップ・ギャレット 歴史学者 23 00:02:18,200 --> 00:02:18,284 フィリップ・ギャレット 歴史学者 24 00:02:18,284 --> 00:02:19,326 フィリップ・ギャレット 歴史学者 様々な勢力が 手を結びました 25 00:02:19,326 --> 00:02:21,871 様々な勢力が 手を結びました 26 00:02:24,039 --> 00:02:27,209 ‎信長が権力を固めるためには 27 00:02:27,293 --> 00:02:30,921 ‎他の勢力を取り込むか ‎排除するかです 28 00:02:33,048 --> 00:02:35,676 ‎大きな力を持つ仏教寺院も― 29 00:02:36,427 --> 00:02:40,139 ‎庶民に浸透した宗派も ‎信長の敵でした 30 00:02:47,646 --> 00:02:51,901 ‎寺社勢力は信長にとって ‎大きな障壁でした 31 00:02:52,443 --> 00:02:56,864 ‎国の政治機構に ‎深く組み込まれており 32 00:02:56,947 --> 00:03:00,117 政治力を 誇示していました デビッド・スパフォード 歴史学者 33 00:03:08,000 --> 00:03:10,628 ‎仏教が日本に伝わったのは 34 00:03:10,711 --> 00:03:14,548 ‎日本が中央集権的な ‎官僚国家となる前です 35 00:03:14,632 --> 00:03:17,218 ‎非常に長い歴史があります 36 00:03:19,845 --> 00:03:24,850 ‎偉大なる寺院が ‎厳粛な儀式を行うことで 37 00:03:24,934 --> 00:03:28,896 ‎侵略や疫病から守られると ‎されていました 38 00:03:29,438 --> 00:03:33,776 ‎あらゆる脅威に対する ‎よりどころだったのです 39 00:03:36,654 --> 00:03:42,201 ‎当時の寺社勢力は ‎侍のごとく武装していました 40 00:03:44,745 --> 00:03:47,957 ‎彼らは死を恐れずに戦います 41 00:03:48,040 --> 00:03:51,752 ‎死後は極楽浄土へ行けると ‎信じていました 42 00:03:54,255 --> 00:03:58,050 ‎これらの武装した僧兵を持つ ‎寺社勢力が 43 00:03:58,133 --> 00:04:02,263 ‎信長の中央統治を妨げる ‎主な敵でした 44 00:04:28,747 --> 00:04:33,961 ‎宗教界からは 大規模な ‎寺社勢力からの反発に加えて 45 00:04:34,044 --> 00:04:37,006 ‎より大きな脅威も ‎出現しました 46 00:04:37,089 --> 00:04:37,506 新たな宗派による 一向一揆です 47 00:04:37,506 --> 00:04:40,843 新たな宗派による 一向一揆です マイケル・オースリン 歴史学者 作家 48 00:04:43,220 --> 00:04:46,432 ‎この動きは ‎全国に拡大しました 49 00:04:48,142 --> 00:04:51,562 ‎一向宗は農民や商人の間で ‎浸透します 50 00:04:51,645 --> 00:04:54,940 ‎仏を信じることで ‎救われるという― 51 00:04:55,024 --> 00:04:57,318 ‎分かりやすい教えでした 52 00:04:57,401 --> 00:05:02,364 ‎貧困と‎飢饉(ききん)‎と戦に ‎疲弊した土地で広まりました 53 00:05:04,908 --> 00:05:07,995 ‎一向宗は社会の垣根を越え― 54 00:05:08,078 --> 00:05:11,957 ‎信仰の場と地域を守るため ‎団結しました 55 00:05:12,041 --> 00:05:16,420 ‎商人 村人 僧侶が ‎共通の信仰の下で団結し 56 00:05:16,503 --> 00:05:18,839 ‎大名に反抗したのです 57 00:05:20,674 --> 00:05:25,095 ‎16世紀末 一向宗は ‎全国に拡大していました 58 00:05:25,179 --> 00:05:27,473 ‎拠点となる寺を築き― 59 00:05:30,559 --> 00:05:33,604 ‎各地で武装蜂起しました 60 00:05:38,317 --> 00:05:40,944 ‎僧侶と農民による ‎武装集団です 61 00:05:41,278 --> 00:05:45,366 ‎仏に忠誠を誓い ‎織田信長を含む― 62 00:05:45,449 --> 00:05:48,827 ‎有力な大名への服従を ‎拒みました 63 00:05:58,379 --> 00:06:01,924 ‎彼らは私たちが ‎思い描くような― 64 00:06:02,007 --> 00:06:05,386 ‎平和的な僧侶ではありません 65 00:06:05,469 --> 00:06:08,097 ‎手ごわい武装勢力でした 66 00:06:11,683 --> 00:06:14,353 ‎信長は徹底的に弾圧しました 67 00:06:14,436 --> 00:06:20,275 ‎一向一揆を放置すれば ‎自分の権威が脅かされ 68 00:06:20,359 --> 00:06:24,905 ‎次々に反乱が起きると ‎考えたのです 69 00:06:35,207 --> 00:06:39,795 ‎信長は一向一揆の ‎根絶を目指し 動き出します 70 00:06:39,878 --> 00:06:42,548 ‎歯向かう者は皆殺しです 71 00:06:46,677 --> 00:06:48,971 ‎1570年 8月 72 00:06:49,054 --> 00:06:52,474 ‎信長は一向一揆の討伐に ‎動き出す 73 00:06:53,183 --> 00:06:55,686 ‎各地の拠点を制した後― 74 00:06:55,769 --> 00:06:59,481 ‎日本の仏教の中心へ ‎矛先を向けた 75 00:06:59,565 --> 00:07:02,067 ‎比叡山延暦寺だ 76 00:07:03,110 --> 00:07:07,322 ‎今までの功績を ‎全て脅かす決断である 77 00:07:25,174 --> 00:07:31,346 ‎延暦寺が持つ政治への影響は ‎圧倒的でした 78 00:07:31,430 --> 00:07:34,933 ‎有力な首領と ‎肩を並べるほどで 79 00:07:35,017 --> 00:07:39,021 ‎朝廷とも ‎深い関係がありました 80 00:07:43,609 --> 00:07:46,653 ‎信長は仏教を ‎毛嫌いしていたので 81 00:07:46,737 --> 00:07:49,865 ‎ある出来事が ‎信長を激怒させました 82 00:07:50,949 --> 00:07:55,496 ‎延暦寺の僧侶が ‎信長の敵をかくまったのです 83 00:07:56,163 --> 00:07:59,708 ‎また 延暦寺は ‎京都からとても近く― 84 00:07:59,791 --> 00:08:02,419 ‎洛中(らくちゅう)‎を見下ろせる位置です 85 00:08:02,878 --> 00:08:07,758 ‎地理的にも 延暦寺は ‎信長を脅かす存在でした 86 00:08:10,344 --> 00:08:13,764 ‎そこで信長は ‎運命的な決断をします 87 00:08:13,847 --> 00:08:16,725 ‎日本最大の寺院である ‎延暦寺を― 88 00:08:16,808 --> 00:08:20,646 ‎攻撃し破壊することを ‎決めたのです 89 00:08:23,106 --> 00:08:25,484 ‎1571年 9月 90 00:08:25,567 --> 00:08:30,614 ‎信長は大規模な合戦に ‎備えるかのごとく 91 00:08:30,697 --> 00:08:32,950 ‎大軍を組織しました 92 00:08:38,579 --> 00:08:43,293 ‎信長が進軍を始めたため ‎民衆の多くが逃げ出します 93 00:08:44,002 --> 00:08:49,633 ‎避難先は延暦寺がある ‎比叡山の山頂です 94 00:08:51,468 --> 00:08:53,095 ‎信長は兵たちに 95 00:08:53,178 --> 00:08:57,307 ‎山中で出会う者は全て殺せと ‎命じました 96 00:08:59,685 --> 00:09:01,395 ‎“建物も焼け”と 97 00:09:03,063 --> 00:09:06,733 ‎残虐行為は戦国時代には ‎よくありましたが 98 00:09:06,858 --> 00:09:09,736 ‎延暦寺の襲撃は別次元です 99 00:09:14,116 --> 00:09:17,536 ‎信長軍を“‎獣(けだもの)‎”と伝える ‎史料もあります 100 00:09:22,874 --> 00:09:27,212 ‎信長軍の兵が ‎寺院の中心に到達します 101 00:09:27,296 --> 00:09:31,091 ‎信長軍は最後通告をしました 102 00:09:33,218 --> 00:09:35,220 ‎忠誠を誓うか― 103 00:09:36,680 --> 00:09:38,682 ‎焼き討ちにされるか 104 00:09:43,270 --> 00:09:45,647 ‎延暦寺は後者を選びます 105 00:09:48,400 --> 00:09:50,319 ‎寺院は全焼しました 106 00:09:50,402 --> 00:09:53,488 ‎京の町の人々が ‎東の空に見たのは― 107 00:09:54,114 --> 00:09:59,453 ‎日本で最も有名な寺院が ‎炎に焼かれる姿でした 108 00:10:01,288 --> 00:10:05,626 ‎信長の兵は 炎から ‎逃れた人々を捕らえました 109 00:10:24,853 --> 00:10:27,648 ‎無慈悲な攻撃でした 110 00:10:27,773 --> 00:10:30,192 ‎僧侶も女性も 子供さえも― 111 00:10:30,984 --> 00:10:33,070 ‎無差別に殺されました 112 00:11:06,687 --> 00:11:10,774 ‎信長は 女と子供を含む ‎全員の斬首を命じます 113 00:11:11,316 --> 00:11:15,946 ‎信長の家臣でさえも ‎目を覆うような光景でした 114 00:11:17,948 --> 00:11:21,451 ‎この冷酷で ‎残虐極まりない行動は 115 00:11:21,535 --> 00:11:25,163 ‎2万人の命を奪ったと ‎言われています 116 00:11:25,747 --> 00:11:29,501 ‎忠実な家臣でさえ ‎嫌気がさしたといいます 117 00:11:31,211 --> 00:11:36,299 ‎仏教徒だった明智光秀は ‎この時から 信長の資質に― 118 00:11:36,383 --> 00:11:41,263 ‎大きな疑問を持ち始めたと ‎言われています 119 00:11:44,808 --> 00:11:48,812 ‎信長には明らかに ‎病的な一面がありました 120 00:11:48,895 --> 00:11:50,564 戦国大名は 皆 残虐でしたが 121 00:11:50,564 --> 00:11:51,732 戦国大名は 皆 残虐でしたが マイケル・オースリン 歴史学者 作家 122 00:11:51,732 --> 00:11:51,857 マイケル・オースリン 歴史学者 作家 123 00:11:51,857 --> 00:11:54,067 マイケル・オースリン 歴史学者 作家 信長は別格でした 124 00:11:55,610 --> 00:11:57,654 ‎虐殺は無差別に行われ 125 00:11:57,738 --> 00:12:01,408 ‎山肌を血の川が ‎流れたといいます 126 00:12:01,491 --> 00:12:05,120 ‎これは他の宗派や ‎大名に対する― 127 00:12:05,203 --> 00:12:10,083 ‎“何者にも容赦しない” ‎という警告でした 128 00:12:11,209 --> 00:12:14,880 ‎信長の野望が ‎現実に近づいてきました 129 00:12:14,963 --> 00:12:18,717 ‎中部地方の統一まで ‎あと一歩です 130 00:12:18,800 --> 00:12:22,345 ‎その方法は残虐なものでした 131 00:12:23,972 --> 00:12:27,684 ‎しかし後に この報いを ‎受けることになります 132 00:12:30,771 --> 00:12:35,901 ‎その後も信長による ‎寺社勢力への攻撃は続き 133 00:12:35,984 --> 00:12:38,528 ‎大勢の仏教徒が命を落とした 134 00:12:40,071 --> 00:12:44,534 ‎信長の所業は ‎他の有力大名の怒りを買い 135 00:12:44,618 --> 00:12:50,123 ‎この後 最も手ごわい敵と ‎激突する道へ進んだ 136 00:12:54,878 --> 00:12:57,547 ‎信長の比叡山での所業は 137 00:12:57,672 --> 00:13:01,259 ‎宗教界の外にも ‎衝撃を与えました 138 00:13:01,343 --> 00:13:01,718 多くの大名は 信長は討伐すべき― 139 00:13:01,718 --> 00:13:05,180 多くの大名は 信長は討伐すべき― スティーブン・ ターンブル 歴史学者 作家 140 00:13:05,180 --> 00:13:05,263 スティーブン・ ターンブル 歴史学者 作家 141 00:13:05,263 --> 00:13:05,555 スティーブン・ ターンブル 歴史学者 作家 残虐な暴君だと 確信したのです 142 00:13:05,555 --> 00:13:08,934 残虐な暴君だと 確信したのです 143 00:13:09,976 --> 00:13:14,940 ‎しかし それを実行できる ‎大名は限られていました 144 00:13:17,275 --> 00:13:21,404 その中の1人が 武田信玄でした 145 00:13:25,575 --> 00:13:30,247 ‎武田信玄は ‎中部にある甲斐の大名でした 146 00:13:31,915 --> 00:13:33,250 武田信玄は 147 00:13:33,250 --> 00:13:33,834 武田信玄は ネイサン・レドベター 歴史学者 148 00:13:33,834 --> 00:13:33,917 ネイサン・レドベター 歴史学者 149 00:13:33,917 --> 00:13:37,337 ネイサン・レドベター 歴史学者 荒々しい武将として 知られていました 150 00:13:38,922 --> 00:13:41,633 ‎“甲斐の虎”と呼ばれ― 151 00:13:41,716 --> 00:13:42,133 信長の侵攻を 阻止できる立場にある― 152 00:13:42,133 --> 00:13:45,470 信長の侵攻を 阻止できる立場にある― アイザック・メイヤー 歴史学者 153 00:13:45,470 --> 00:13:45,554 アイザック・メイヤー 歴史学者 154 00:13:45,554 --> 00:13:46,137 アイザック・メイヤー 歴史学者 数少ない大名の 1人でした 155 00:13:46,137 --> 00:13:48,348 数少ない大名の 1人でした 156 00:13:48,890 --> 00:13:51,601 ‎彼の評判は両極端です 157 00:13:51,685 --> 00:13:53,603 ‎非常に暴虐で 158 00:13:53,687 --> 00:13:57,107 ‎罪人を‎釜茹(かまゆ)‎でにしたとも ‎言われます 159 00:13:58,567 --> 00:14:01,903 ‎その一方で ‎彼は僧侶でもありました 160 00:14:02,988 --> 00:14:06,533 ‎彼の旗印は釈迦が唱えた― 161 00:14:06,616 --> 00:14:10,120 ‎“‎天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)‎” 162 00:14:10,203 --> 00:14:14,165 ‎しかし信玄の場合 ‎“唯我独‎恐‎”でしょうか 163 00:14:16,293 --> 00:14:22,173 ‎他の大名は武田信玄のことを ‎大きな脅威だと認識しており 164 00:14:22,674 --> 00:14:27,637 ‎信玄の率いる軍は ‎勇猛なことで有名でした 165 00:14:27,721 --> 00:14:30,390 ‎つまり信玄と信長は 166 00:14:30,473 --> 00:14:30,891 お互いを脅威に 感じていたのです 167 00:14:30,891 --> 00:14:34,769 お互いを脅威に 感じていたのです イライジャ・ベンダー 歴史学者 168 00:14:37,314 --> 00:14:39,983 ‎信長が延暦寺を破壊した後― 169 00:14:40,066 --> 00:14:44,237 ‎信玄は 信長を討伐する ‎決断を下します 170 00:14:45,113 --> 00:14:48,325 ‎手始めに ‎信長と同盟を結んでいた― 171 00:14:48,408 --> 00:14:51,369 徳川家康の排除を 試みます 172 00:14:53,914 --> 00:14:56,708 ‎家康は桶狭間の戦い以降― 173 00:14:56,791 --> 00:14:59,628 ‎信長に仕え ‎信頼を得ていました 174 00:15:03,506 --> 00:15:06,509 ‎家康の領地は信長の領地と 175 00:15:06,593 --> 00:15:09,596 ‎信玄の領地に ‎挟まれています 176 00:15:09,679 --> 00:15:13,975 ‎そこで信玄は 家康を ‎先に攻めることにしました 177 00:15:15,936 --> 00:15:20,023 ‎これは信玄が信長を ‎都から追い出すための 178 00:15:20,106 --> 00:15:22,525 ‎京への進軍の第一歩でした 179 00:15:22,609 --> 00:15:26,613 ‎信長の代わりに ‎天下を取れるかもしれません 180 00:15:31,117 --> 00:15:33,912 ‎家康にとっては ‎危険な状況です 181 00:15:33,995 --> 00:15:37,332 ‎兵の数でも劣っていますし 182 00:15:37,415 --> 00:15:39,918 ‎信玄は恐ろしい武将です 183 00:15:40,001 --> 00:15:44,047 ‎しかし家康の切り札は ‎信長との同盟関係です 184 00:15:44,130 --> 00:15:47,801 ‎信長に援軍を求めることが ‎できたのです 185 00:15:56,226 --> 00:15:59,437 ‎しかし 信長自身も ‎戦いの最中で― 186 00:15:59,521 --> 00:16:04,025 ‎寺社勢力との戦に ‎兵の大半を投じていました 187 00:16:04,734 --> 00:16:10,198 ‎家康に送られた援軍は ‎3000人程度だったようです 188 00:16:12,826 --> 00:16:15,286 ‎危険な賭けでした 189 00:16:15,370 --> 00:16:19,833 ‎家康が負ければ ‎信長が統治する尾張が― 190 00:16:19,916 --> 00:16:21,543 ‎次に狙われます 191 00:16:21,626 --> 00:16:26,423 ‎しかし戦国時代においては ‎せざるを得ない賭けでした 192 00:16:30,552 --> 00:16:34,014 ‎信玄軍の約3万5000人に対し 193 00:16:36,141 --> 00:16:38,977 ‎家康軍は約8000人でした 194 00:16:50,655 --> 00:16:53,742 ‎それでも家康は ‎合戦を決意します 195 00:16:54,909 --> 00:16:57,120 ‎一番の理由は 196 00:16:57,203 --> 00:17:01,958 ‎臣下に力を示す必要が ‎あると考えたからでしょう 197 00:17:02,042 --> 00:17:05,544 ‎この時代 ‎侍が忠義を尽くすのは 198 00:17:05,628 --> 00:17:08,757 ‎戦に勝てる君主でした 199 00:17:08,882 --> 00:17:10,841 ‎敵に領地を奪われ― 200 00:17:10,925 --> 00:17:14,928 ‎家臣を守れない主君は ‎見限られてしまいます 201 00:17:18,767 --> 00:17:21,644 1573年 日本 202 00:17:21,686 --> 00:17:24,481 ‎1573年 1月‎25‎日 203 00:17:25,356 --> 00:17:28,568 ‎家康は家臣の反対を無視し― 204 00:17:29,527 --> 00:17:32,155 ‎信玄軍と戦うため ‎兵を進めた 205 00:17:33,031 --> 00:17:37,786 ‎家康は 3倍の兵力を持つ ‎信玄軍に攻撃を仕掛けた 206 00:17:39,621 --> 00:17:45,668 ‎兵力と戦術に勝る武田軍は ‎数時間で家康軍を撃破 207 00:17:45,752 --> 00:17:51,257 ‎我を忘れた家康を 家臣が ‎戦場から引きずり離した 208 00:18:06,231 --> 00:18:08,817 ‎家康の完敗でした 209 00:18:09,484 --> 00:18:14,531 ‎信長のように強敵に ‎立ち向かいましたが 210 00:18:14,614 --> 00:18:16,032 ‎惨敗しました 211 00:18:21,121 --> 00:18:24,916 ‎この敗北は 家康から ‎気力を奪いました 212 00:18:24,999 --> 00:18:28,294 ‎その後 ‎信玄軍が戻った時も― 213 00:18:28,378 --> 00:18:28,878 手も足も出ずに 複数の城を奪われました 214 00:18:28,878 --> 00:18:32,173 手も足も出ずに 複数の城を奪われました アイザック・メイヤー 歴史学者 215 00:18:32,173 --> 00:18:32,257 アイザック・メイヤー 歴史学者 216 00:18:32,257 --> 00:18:32,674 アイザック・メイヤー 歴史学者 出兵すらしていません 217 00:18:32,674 --> 00:18:34,425 出兵すらしていません 218 00:18:39,556 --> 00:18:43,351 ‎武田信玄は家康に ‎大きな打撃を与え 219 00:18:43,434 --> 00:18:47,021 ‎もし望めば 殺すことも ‎できたでしょう 220 00:18:48,314 --> 00:18:51,943 しかし信玄は 1570年代前半― イライジャ・ベンダー 歴史学者 221 00:18:51,943 --> 00:18:53,027 しかし信玄は 1570年代前半― 222 00:18:53,111 --> 00:18:58,408 ‎快進撃を続けていた最中に ‎亡くなってしまいます 223 00:19:00,910 --> 00:19:05,039 ‎死因は肝臓がんだったと ‎言われています 224 00:19:05,123 --> 00:19:09,210 ‎華々しい武将に訪れた ‎突然の死でした 225 00:19:11,546 --> 00:19:12,714 ‎信玄は家臣に 226 00:19:12,797 --> 00:19:17,552 ‎自分の死を3年間伏せろと ‎命じていました 227 00:19:24,309 --> 00:19:25,560 跡継ぎの勝頼が 次の戦いに出る前に― 228 00:19:25,560 --> 00:19:29,606 跡継ぎの勝頼が 次の戦いに出る前に― 武田勝頼 信玄の息子 229 00:19:29,689 --> 00:19:35,111 ‎甲斐と家臣の統率を ‎強固なものにするためです 230 00:19:41,201 --> 00:19:46,748 ‎武田勝頼は名将であり ‎戦場で勇敢に戦いました 231 00:19:47,248 --> 00:19:51,836 ‎一番の課題は 父の家臣から ‎支持を得ることです 232 00:19:53,046 --> 00:19:57,342 ‎父の家臣は勝頼を ‎幼い頃から知っています 233 00:19:58,301 --> 00:20:01,679 ‎勝頼は常に ‎父と比較されました 234 00:20:03,848 --> 00:20:06,601 ‎それほど信玄は偉大でした 235 00:20:15,568 --> 00:20:19,697 ‎勝頼を信頼しない ‎家臣もいました 236 00:20:19,781 --> 00:20:24,118 ‎勝頼は 信玄と側室の間に ‎生まれた子供です 237 00:20:24,202 --> 00:20:28,790 ‎ですから多くの家臣が ‎正室の子ではない勝頼を 238 00:20:28,873 --> 00:20:33,920 ‎武田家に忠実ではないと ‎思っていたのです 239 00:20:38,383 --> 00:20:42,845 ‎武田の当主として ‎名を上げようとした勝頼に 240 00:20:45,014 --> 00:20:47,934 ‎意外な人物から ‎手紙が届きます 241 00:20:48,559 --> 00:20:53,189 ‎最大の敵の1人である ‎徳川家康の妻からです 242 00:20:55,566 --> 00:20:57,402 ‎夢のような展開です 243 00:21:02,615 --> 00:21:05,660 家康の妻 築山殿(つきやまどの)が 宿敵の武田勝頼に― 244 00:21:05,660 --> 00:21:06,494 家康の妻 築山殿(つきやまどの)が 宿敵の武田勝頼に― レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 245 00:21:06,494 --> 00:21:06,577 レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 246 00:21:06,577 --> 00:21:09,622 レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 極秘で手紙を 送っていたのです 247 00:21:09,622 --> 00:21:11,207 極秘で手紙を 送っていたのです 248 00:21:11,291 --> 00:21:12,709 築山殿 家康の正室 249 00:21:12,709 --> 00:21:15,169 築山殿 家康の正室 築山殿と家康は 若くして結婚しました 250 00:21:15,169 --> 00:21:17,130 築山殿と家康は 若くして結婚しました 251 00:21:17,213 --> 00:21:19,549 ‎14~15歳の頃です 252 00:21:19,632 --> 00:21:22,719 ‎和平のための ‎政略結婚でした 253 00:21:25,221 --> 00:21:25,638 そのため2人の関係は 254 00:21:25,638 --> 00:21:27,640 そのため2人の関係は 北川智子 歴史学者 作家 255 00:21:27,640 --> 00:21:27,724 北川智子 歴史学者 作家 256 00:21:27,724 --> 00:21:30,226 北川智子 歴史学者 作家 冷え切っていたのです 257 00:21:34,605 --> 00:21:39,152 ‎当時 2人は同居して13年で ‎息子が1人いました 258 00:21:40,445 --> 00:21:45,241 ‎築山殿は高慢で嫉妬深く ‎短気で気の荒い― 259 00:21:45,325 --> 00:21:47,994 ‎打ち解けにくい性格でした 260 00:21:48,870 --> 00:21:54,250 ‎そのため家康は ‎何人もの側室を迎えました 261 00:21:55,710 --> 00:22:00,131 ‎家康は妻より側室たちと ‎過ごすようになりました 262 00:22:01,132 --> 00:22:04,844 ‎当時 地位の高い男性は ‎皆 側室がいました 263 00:22:04,927 --> 00:22:08,973 ‎しかし築山殿は ‎嫉妬深い女性です 264 00:22:09,057 --> 00:22:12,268 ‎20人ほどの側室を ‎迎えたことに 265 00:22:12,393 --> 00:22:15,688 ‎恨みを持っていたのでしょう 266 00:22:16,814 --> 00:22:19,859 ‎彼女にとっては ‎ひどい仕打ちです 267 00:22:29,827 --> 00:22:35,875 ‎築山殿は手紙で ‎夫と信長を裏切ると伝えます 268 00:22:35,958 --> 00:22:37,460 ‎その代わり― 269 00:22:38,628 --> 00:22:42,507 ‎息子の保護と ‎領土の提供を要求します 270 00:22:42,590 --> 00:22:46,844 ‎勝頼の家臣との ‎結婚も要求しました 271 00:23:09,575 --> 00:23:14,831 ‎“家康を倒すチャンスだ”と ‎勝頼は考えたでしょう 272 00:23:16,499 --> 00:23:21,546 ‎これで一族の当主としての ‎地位を固められるはずです 273 00:23:23,047 --> 00:23:25,967 ‎家臣たちから ‎信頼を得るための 274 00:23:26,050 --> 00:23:28,553 ‎絶好の機会でもありました 275 00:23:30,638 --> 00:23:33,766 ‎勝頼は 築山殿の ‎申し出を受け入れ 276 00:23:33,850 --> 00:23:37,603 ‎彼女の結婚相手も ‎選びました 277 00:23:50,533 --> 00:23:53,786 ‎父に命じられた ‎3年を待たずに 278 00:23:53,870 --> 00:23:55,955 ‎行動に出たのです 279 00:23:56,038 --> 00:24:00,751 ‎その結果 戦国時代を ‎象徴する合戦が起きます 280 00:24:04,755 --> 00:24:07,675 ‎1575年 勝頼は兵を挙げ 281 00:24:07,758 --> 00:24:11,929 ‎数年前に父が通った道を ‎たどります 282 00:24:14,223 --> 00:24:18,978 ‎徳川家康は再び領地を ‎脅かされることになりました 283 00:24:22,064 --> 00:24:26,527 ‎家康は 勝頼軍が ‎約1万5000人であることを 284 00:24:26,611 --> 00:24:30,406 ‎使者から伝え聞いていました 285 00:24:31,782 --> 00:24:33,409 ‎阻止できねば― 286 00:24:34,577 --> 00:24:37,371 ‎殺される可能性もあります 287 00:24:39,832 --> 00:24:43,294 ‎家康は ‎深刻な事態になったと考え― 288 00:24:44,629 --> 00:24:47,256 ‎信長に使者を送りました 289 00:24:47,965 --> 00:24:52,678 ‎信長とは硬い同盟関係を ‎保っていました 290 00:24:53,262 --> 00:24:57,475 ‎いくつもの戦を ‎信長とともに戦い 291 00:24:58,601 --> 00:25:00,728 ‎信長を救ったことも 292 00:25:16,786 --> 00:25:21,582 ‎家康は信長に これまで ‎尽くしてきたことを伝え 293 00:25:22,500 --> 00:25:27,588 ‎もし援軍を得られないなら ‎寝返ると伝えました 294 00:25:27,672 --> 00:25:31,008 ‎勝頼と共に領地に侵攻し 295 00:25:31,092 --> 00:25:34,178 ‎城を奪うと表明したのです 296 00:25:34,679 --> 00:25:38,140 ‎まさに大胆な内容でした 297 00:25:39,725 --> 00:25:42,353 ‎もし信長が負ければ 298 00:25:42,436 --> 00:25:48,401 ‎彼がこれまで経験した中で ‎最も深刻な敗北になります 299 00:25:48,484 --> 00:25:50,319 ‎そうなれば― 300 00:25:50,403 --> 00:25:53,656 ‎東への領土拡大は ‎不可能です 301 00:25:55,324 --> 00:26:00,413 ‎信長の強みの1つは ‎彼が持つ無敵のイメージです 302 00:26:00,496 --> 00:26:04,041 ‎もし信長が ‎負けることがあれば 303 00:26:04,125 --> 00:26:08,546 ‎彼に反発する敵が 勢力を ‎盛り返すかもしれません 304 00:26:12,466 --> 00:26:15,303 ‎家康の言うことに同意し 305 00:26:15,428 --> 00:26:20,516 ‎信長は援軍を約束し ‎大量の‎金(きん)‎を送ります 306 00:26:20,600 --> 00:26:24,395 ‎そして兵を集め ‎家康に会いに行きます 307 00:26:24,478 --> 00:26:26,647 1575年 日本 308 00:26:28,733 --> 00:26:30,776 ‎1575年 6月 309 00:26:31,569 --> 00:26:34,447 ‎信長と家康が手を結び― 310 00:26:34,530 --> 00:26:37,325 ‎勝頼と対峙するために ‎出陣した 311 00:26:39,827 --> 00:26:44,624 ‎信長と家康の軍は ‎設楽原(したらがはら)‎で足を止めた 312 00:26:44,707 --> 00:26:48,794 ‎勝頼軍の本陣から ‎数キロ離れた場所である 313 00:26:50,546 --> 00:26:55,801 ‎信長は手ごわい敵の軍勢を ‎打ち負かすため 314 00:26:55,885 --> 00:27:00,514 ‎戦いの前夜 ‎大胆な計画を実行に移した 315 00:27:11,859 --> 00:27:14,695 ‎信長が優れていた点の1つは 316 00:27:14,779 --> 00:27:20,201 ‎戦いに備えて敵をよく研究し ‎綿密な準備をするところです 317 00:27:21,744 --> 00:27:26,791 ‎武田軍は機動力の高さで ‎知られていました 318 00:27:26,874 --> 00:27:31,462 ‎準備を怠れば ‎あっという間に兵を進められ 319 00:27:31,545 --> 00:27:35,800 ‎大打撃を受けることに ‎なるでしょう 320 00:27:37,134 --> 00:27:41,472 ‎敵の攻撃を弱めるため ‎信長は柵を築きました 321 00:27:41,555 --> 00:27:44,141 ‎機動力を低下させるのです 322 00:27:45,351 --> 00:27:50,272 ‎勝頼軍が進む先に ‎柵を配置しておけば 323 00:27:50,398 --> 00:27:52,566 ‎足止めができます 324 00:27:52,650 --> 00:27:54,360 ‎目的は 勝頼軍を 325 00:27:54,443 --> 00:27:59,281 ‎一網打尽にできる場所へ ‎誘い込むことです 326 00:27:59,365 --> 00:28:03,160 ‎柵によって ‎立ち往生させられるのです 327 00:28:05,579 --> 00:28:10,209 ‎そこでは織田と徳川の ‎鉄炮隊が待ち構えていました 328 00:28:12,586 --> 00:28:17,341 ‎しかし当時 火縄銃には ‎欠点がありました 329 00:28:17,425 --> 00:28:21,220 ‎弾丸の装填に ‎時間がかかるのです 330 00:28:21,303 --> 00:28:25,057 ‎史料によると 信長は― 331 00:28:25,141 --> 00:28:29,562 ‎この弱点を軽減する策を ‎考案したようです 332 00:28:30,354 --> 00:28:32,398 ‎“三段撃ち”です 333 00:28:34,066 --> 00:28:40,322 ‎鉄砲隊と少数の弓兵が ‎部隊を結成します 334 00:28:41,157 --> 00:28:43,868 ‎火縄銃兵が装填している間― 335 00:28:43,951 --> 00:28:47,872 ‎射手(いて)‎がこの時間を埋めます 336 00:28:47,955 --> 00:28:52,918 ‎順番に攻撃をすることで ‎銃の効果を発揮できたのです 337 00:28:54,587 --> 00:28:57,006 ‎信長軍の鉄砲隊の背後には 338 00:28:57,089 --> 00:29:00,468 ‎槍を持つ部隊が控えています 339 00:29:00,551 --> 00:29:03,637 ‎敵軍の騎馬兵を ‎馬から突き落とし 340 00:29:03,721 --> 00:29:07,516 ‎接近して槍や刀で ‎攻撃するためです 341 00:29:15,065 --> 00:29:17,318 ‎武田軍の典型的な戦術は 342 00:29:17,401 --> 00:29:23,032 ‎敵を取り囲み 四方八方から ‎攻撃することでした 343 00:29:24,200 --> 00:29:28,204 ‎勝頼軍の誰もが ‎この戦いに勝てると 344 00:29:28,287 --> 00:29:30,080 ‎確信していました 345 00:29:30,164 --> 00:29:32,958 ‎以前 徳川軍と戦った時には 346 00:29:33,042 --> 00:29:36,253 ‎大勝利を収めていたからです 347 00:29:38,672 --> 00:29:40,174 ‎戦いの前日には 348 00:29:40,257 --> 00:29:43,636 ‎勝敗の行方は ‎まだ見えませんでした 349 00:29:45,888 --> 00:29:51,435 ‎敗戦すれば信長の価値が ‎大きく傷ついてしまいます 350 00:29:51,519 --> 00:29:54,230 ‎信長には多くの敵がいたので 351 00:29:54,313 --> 00:29:59,318 ‎負ければ 反対勢力が ‎結集する可能性もあります 352 00:30:02,112 --> 00:30:04,240 ‎翌朝 両軍は激突します 353 00:30:05,241 --> 00:30:10,704 ‎日本史を左右する ‎象徴的な戦いの始まりです 354 00:30:21,632 --> 00:30:24,009 ‎決戦の朝 勝頼軍は前進し 355 00:30:24,093 --> 00:30:28,347 ‎織田の軍と対峙して ‎攻撃態勢をとります 356 00:30:31,267 --> 00:30:34,770 ‎響き渡るのは ‎馬の足音のみでした 357 00:30:38,732 --> 00:30:42,027 ‎勝頼には 敵軍が ‎見えてはいましたが 358 00:30:42,111 --> 00:30:46,574 ‎何に直面しているのかは ‎把握していませんでした 359 00:30:57,501 --> 00:31:01,130 ‎武田の兵は ‎前方に見える敵に 360 00:31:01,213 --> 00:31:02,798 ‎突進していきます 361 00:31:06,385 --> 00:31:09,013 ‎まず火縄銃が火を噴きました 362 00:31:13,058 --> 00:31:14,435 ‎続いて矢です 363 00:31:17,396 --> 00:31:21,609 ‎士気を鼓舞する ‎主君の声が響きますが 364 00:31:21,692 --> 00:31:24,778 ‎柵に阻まれ前進できません 365 00:31:27,615 --> 00:31:30,242 ‎銃撃は激しさを増します 366 00:31:30,326 --> 00:31:32,286 ‎飛んでくる矢が当たり 367 00:31:32,369 --> 00:31:35,289 ‎味方が次々と倒れていきます 368 00:31:36,624 --> 00:31:40,085 ‎この状況を切り抜ける道は ‎柵を越え 369 00:31:40,169 --> 00:31:43,255 ‎敵の兵と直接 ‎対決することでした 370 00:31:51,472 --> 00:31:54,016 ‎勝頼は兵を前に出し続けます 371 00:31:54,600 --> 00:31:57,144 ‎正面攻撃を続ける限り― 372 00:31:57,227 --> 00:32:00,314 ‎包囲作戦は成功する ‎可能性があります 373 00:32:03,943 --> 00:32:07,404 ‎銃弾と矢が飛び交います 374 00:32:08,697 --> 00:32:11,867 ‎煙が目に入り ‎視界がぼやけました 375 00:32:23,712 --> 00:32:28,217 ‎横から織田軍の歩兵が ‎押し寄せ― 376 00:32:28,300 --> 00:32:31,053 ‎勝頼軍に猛攻を仕掛けます 377 00:32:31,845 --> 00:32:36,642 ‎この猛攻撃で 武田軍は ‎壊滅状態に陥りました 378 00:32:37,726 --> 00:32:41,689 ‎信長は思惑どおり ‎武田の兵を囲い込み 379 00:32:41,772 --> 00:32:44,191 ‎一網打尽にしたのです 380 00:32:48,946 --> 00:32:51,740 ‎勝頼に引き下がる気はなく 381 00:32:51,824 --> 00:32:53,909 ‎次の陣を送りました 382 00:32:53,993 --> 00:32:59,206 ‎何度も繰り返しますが ‎武田軍は太刀打ちできず― 383 00:33:01,208 --> 00:33:02,668 ‎大勢が死にます 384 00:33:11,385 --> 00:33:14,179 ‎時が経つにつれ ‎武田の家臣たちは 385 00:33:14,263 --> 00:33:17,057 ‎勝ち目がないと確信します 386 00:33:19,435 --> 00:33:23,397 ‎そして多くの家臣が ‎撤退を始めました 387 00:33:23,480 --> 00:33:26,108 ‎しかし退却する時というのは 388 00:33:26,191 --> 00:33:28,569 ‎最も危険な瞬間です 389 00:33:28,652 --> 00:33:34,158 ‎敵に背中を向ければ ‎当然 攻撃を受けるからです 390 00:33:36,285 --> 00:33:40,456 ‎勝頼は決死の覚悟で ‎撤退を拒みましたが 391 00:33:41,498 --> 00:33:43,250 ‎軍隊は崩れました 392 00:33:44,543 --> 00:33:48,797 ‎側近の武将たちは ‎勝頼に撤退を懇願し 393 00:33:48,881 --> 00:33:53,427 ‎強引に勝頼を馬に乗せ ‎北へ向かいます 394 00:33:54,219 --> 00:34:00,559 ‎勝頼は少数の兵と共に ‎なんとか自国へ逃げました 395 00:34:05,147 --> 00:34:06,940 ‎この戦いで― 396 00:34:07,024 --> 00:34:12,321 ‎1万人以上の勝頼軍の死体が ‎戦場に残されました 397 00:34:12,403 --> 00:34:14,656 ‎武田の兵の中には― 398 00:34:16,200 --> 00:34:19,535 ‎信玄の時代から仕える ‎重臣もいました 399 00:34:19,620 --> 00:34:23,499 ‎その多くが この戦いで ‎命を落としました 400 00:34:28,796 --> 00:34:30,339 ‎長篠の戦いは 401 00:34:30,421 --> 00:34:34,051 ‎歴史を変えた戦いと ‎言われています 402 00:34:34,133 --> 00:34:40,099 ‎火縄銃の射手を交代させる ‎戦法が使われたためです 403 00:34:41,432 --> 00:34:47,856 ‎信長の戦法と彼の組織力は ‎高く評価されています 404 00:34:48,524 --> 00:34:52,945 ‎障害物を使う戦法は ‎現代の軍隊でも使われます 405 00:34:53,653 --> 00:34:56,490 ‎信長はこの計画を ‎見事にまとめ 406 00:34:56,573 --> 00:34:59,493 ‎敵の軍を完全に ‎壊滅させました 407 00:35:03,205 --> 00:35:04,873 ‎長篠の戦いは 408 00:35:04,957 --> 00:35:08,377 ‎信長と家康にとって ‎大きな勝利でした 409 00:35:08,961 --> 00:35:13,173 ‎東方に残る3つの ‎有力大名家のうちの1つに 410 00:35:14,216 --> 00:35:17,761 ‎大打撃を与えることが ‎できたからです 411 00:35:17,845 --> 00:35:23,475 ‎しかも武田は 織田と ‎領地が隣り合う大名でした 412 00:35:25,269 --> 00:35:29,565 ‎勝頼はこの敗戦で ‎大きな精神的打撃を受けます 413 00:35:32,484 --> 00:35:35,863 ‎勝頼が兵を挙げて ‎領地を出たのは 414 00:35:35,946 --> 00:35:38,115 ‎この戦いが最後でした 415 00:35:40,826 --> 00:35:45,080 ‎武田家を滅ぼすまで ‎数年かかりました 416 00:35:45,164 --> 00:35:49,334 ‎しかし長篠の戦いの後は ‎信長にとって― 417 00:35:49,418 --> 00:35:53,630 ‎武田家が脅威になることは ‎ありませんでした 418 00:36:00,220 --> 00:36:03,599 ‎家康にとっても ‎大きな勝利でした 419 00:36:04,016 --> 00:36:05,851 しかし築山殿が 420 00:36:05,934 --> 00:36:09,438 裏切りを企てて いたことが判明します 421 00:36:25,162 --> 00:36:27,414 ‎手紙が見つかったのです 422 00:36:28,040 --> 00:36:32,961 ‎信長は家康の家に ‎密偵を忍ばせていました 423 00:36:33,045 --> 00:36:33,545 当時は敵にも味方にも 424 00:36:33,545 --> 00:36:35,214 当時は敵にも味方にも レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 425 00:36:35,214 --> 00:36:35,297 レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 426 00:36:35,297 --> 00:36:37,382 レスリー・ダウナー 歴史学者 作家 密偵を送っていたのです 427 00:36:37,382 --> 00:36:38,091 密偵を送っていたのです 428 00:36:38,175 --> 00:36:41,261 ‎築山殿の女中が ‎手紙を見つけ出し― 429 00:36:41,345 --> 00:36:45,682 ‎信長に渡したと ‎言われています 430 00:36:51,480 --> 00:36:55,108 笠谷和比古 大阪学院大学 歴史学者 431 00:37:12,459 --> 00:37:15,712 ‎家康は築山殿の ‎処罰を決めます 432 00:37:18,757 --> 00:37:21,385 ‎家康は処刑を決めました 433 00:37:21,468 --> 00:37:25,430 ‎生かしておけば また ‎陰謀を図るかもしれません 434 00:37:49,454 --> 00:37:54,334 ‎家康は実の息子も ‎疑っていました 435 00:37:54,418 --> 00:37:59,339 ‎母に忠誠を見せていた息子が ‎復讐に出ることを危惧し 436 00:37:59,423 --> 00:38:02,884 ‎城に軟禁することに ‎したのです 437 00:38:06,596 --> 00:38:10,100 ‎しかし信長は納得せず ‎家康は― 438 00:38:10,183 --> 00:38:14,938 ‎自分の息子を自害させるよう ‎迫られました 439 00:38:17,441 --> 00:38:22,612 ‎絶大な力を持った信長には ‎逆らえませんでしたし 440 00:38:22,696 --> 00:38:26,867 ‎家康にとって同盟の維持は ‎非常に重要でした 441 00:38:26,950 --> 00:38:29,661 ‎自分の意思はどうあれ― 442 00:38:29,745 --> 00:38:34,166 ‎信長が息子の自害を命じれば ‎従うしかありません 443 00:38:37,753 --> 00:38:41,173 ‎家康にとって ‎最も残酷な命令です 444 00:38:41,256 --> 00:38:44,676 ‎この出来事は ‎その後の2人の関係に 445 00:38:44,760 --> 00:38:46,595 ‎影響を与えました 446 00:38:51,683 --> 00:38:56,730 ‎信長は長篠の戦いに勝ち ‎最も有力な大名となった 447 00:39:00,275 --> 00:39:03,945 ‎中央部の大部分は ‎信長の支配下にある 448 00:39:06,365 --> 00:39:11,036 ‎天下統一という夢の実現は ‎目前に迫っている 449 00:39:12,537 --> 00:39:14,539 ‎しかし犠牲も大きい 450 00:39:14,623 --> 00:39:19,336 ‎信長は妄想に取りつかれ ‎周りは皆 敵だと思い込む 451 00:39:23,423 --> 00:39:25,717 ‎築山殿の裏切りで― 452 00:39:25,801 --> 00:39:31,848 ‎敵に囲まれているという ‎信長の恐怖心が増幅しました 453 00:39:31,932 --> 00:39:34,976 ‎誰もが自分の命を ‎狙っていると 454 00:39:35,060 --> 00:39:37,687 ‎思い始めていたのです 455 00:39:40,148 --> 00:39:45,195 ‎信長の立場になって ‎想像してみてください 456 00:39:52,119 --> 00:39:56,498 ‎畑を耕す者 通りを歩く者 ‎誰が敵か分かりません 457 00:39:56,581 --> 00:39:58,166 ‎女中の誰かが 458 00:39:58,250 --> 00:40:02,170 ‎飲み物に毒を入れる ‎可能性もあります 459 00:40:02,254 --> 00:40:02,754 自分の身が危険だと 気づいたら 460 00:40:02,754 --> 00:40:05,465 自分の身が危険だと 気づいたら ダレン・アッシュモア 山梨学院大学 歴史家 461 00:40:05,465 --> 00:40:05,549 ダレン・アッシュモア 山梨学院大学 歴史家 462 00:40:05,549 --> 00:40:06,925 ダレン・アッシュモア 山梨学院大学 歴史家 血の気が引きます 463 00:40:10,429 --> 00:40:14,724 ‎実際 信長は何度か ‎刺客に命を狙われています 464 00:40:15,809 --> 00:40:19,229 ‎刺客の1人は ‎伊賀国(いがのくに)‎の出身者でした 465 00:40:20,313 --> 00:40:24,067 ‎伊賀は戦国時代にあった ‎小さな国です 466 00:40:27,237 --> 00:40:31,950 ‎150年間 伊賀の人々は ‎自治制をとり― 467 00:40:32,033 --> 00:40:36,288 ‎領土への侵入者を ‎阻止してきました 468 00:40:38,373 --> 00:40:39,708 ‎戦う時は― 469 00:40:39,791 --> 00:40:44,963 ‎自治体を軸に ‎ゲリラ軍のように団結します 470 00:40:45,589 --> 00:40:51,219 ‎数年間 侵入を試みる ‎信長勢を襲撃していました 471 00:40:51,303 --> 00:40:56,349 ‎彼らはゲリラ戦の戦術に ‎とても長けていました 472 00:40:56,433 --> 00:41:01,104 ‎このことから伊賀忍者の ‎伝説が生まれたのです 473 00:41:03,106 --> 00:41:07,360 ‎信長勢にとって ‎厄介な存在でした 474 00:41:08,778 --> 00:41:11,948 ‎何としてでも ‎倒す必要があります 475 00:41:12,032 --> 00:41:14,784 ‎彼らを野放しには ‎できません 476 00:41:15,535 --> 00:41:20,040 ‎信長自身の名声と ‎安全を守るためです 477 00:41:22,709 --> 00:41:25,337 ‎簡単に片付くはずでした 478 00:41:26,004 --> 00:41:31,718 ‎しかし極めて激しく ‎残虐な戦いになりました 479 00:42:01,873 --> 00:42:05,126 ‎日本語字幕 大西 健作